このNursEnglishでは主に英語と看護について書いていますが、私自身の事についても少し書いておこうかと思います。あくまでも英語と看護という趣旨ではありますが、どんな人が書いているんだろうと思う方も少なからずいるとは思います。
自分のこれまでの人生なかなかおもしろいことに気がついたのでとりあえず自己紹介がてら書いてみます。
10代の頃から今に至るまでの事を書いていきますが、興味のない方は正直見る必要ないかと思います
ぽこまるの中学校時代
小学校まではいたって普通の小学生であり、子供だった私。小学校では多少勉強ができるかな、ぐらいで特にこれといった特徴はありませんでした。
そんなありふれた子供であった私が変わったのは中学校時代からでした。
もともと人と話すのが苦手だった私はあまり人と話さなくても大丈夫そうという理由で陸上部に入り、一人黙々と部活動をしていました。
しかし中学校には小学校までなかった先輩後輩という文化があり、完全に馴染めていなかった私は先輩から目をつけられいじめられるハメに。
もともと人間関係に興味が無かった私はこの一件でさらに人間関係が嫌になり、事実上の不登校になります。
しかし一般的な不登校のイメージと違ったのは、私がとてもアクティブな不登校だったという事。
つまりグレたんですね。
髪の毛を明るくし、ピアスを開け、かなり派手な中学生になりました。気の合う友達だけとつるみ、学校に行かないで毎日マックやファミレスにたまって暇をひたすら潰していました。
学校にいる同級生や先輩たちのように集団行動をしなくていいのでこの時期は凄い楽しかったなーというのを今でも鮮明に覚えています。
そんなアクティブな不登校を2年程続けた結果、担任の先生からこのままだと行く高校が全くないと言われ、焦り始めます。これが3年生の夏休み前くらいですかね。
え、さすがにださくない?
大っ嫌いな担任を見返すためにここから必死に勉強することになります。
もともとそこまで勉強ができなかったわけではありませんが、学校と勉強が嫌いすぎてストレスが溜まっていったんでしょうね。
不眠になっていきました。毎日同じ夢を見るようになります。
白い服を着て歩いていると、後ろから刃物がたくさん飛んできて体を貫通していきます。
痛いという感覚があり、目覚めてしまうので1日の睡眠時間はトータル3時間ほどでした。
高校はなんとか無事に合格。ちなみにその高校は県内の私立で一番偏差値が高い高校でした。ちょっと自慢。
真面目に高校生活を送るのかと思いきや、そんな高校時代が一番荒れて一番楽しかったのも事実です。
いろいろ突き抜けた高校時代
無事高校に合格し、迎えた入学式。
私は金髪で行きました。
校則がまぁまぁ厳しい学校だったので、髪を染めるのはもちろん禁止でスカートの長さなども厳しかったです。私立だと大体厳しいのかな?
当然先生には止められますが、とってもアクティブな不登校を2年間していたために全くお構いなく式に出席。
とはいかず、保健室にて待機。初っ端から保健室デビューをする事になったのはいい思い出。
そして私は決意する。
アクティブな不登校続行
高校は義務教育ではないために、単位を落とさない程度に登校し、それ以外はいつもと変わらずファミレスやゲーセン、マックとかマックによく出没していました。
しかし遊びに行く時も制服は着ていました。だって制服って女子高生の特権で可愛いから。
スカートの丈の長さ=可愛さ
という謎理論が脳内で生成されており、限界まで短くしていました。えぇ、露出狂と紙一重ですね。
スカートが短すぎて、スカートを履いていくのを忘れた時もありました。大きめのカーディガンを着ているとスカートが見えないので履いていても履いていなくても一緒なんですよね。
- 髪の毛は金髪
- ピアスは両耳20個
- スカートは履き忘れる
- 生活態度は控えめに言ってクズ
- アイライナーはマッキーで代用。ハイライトはポスカを使用
このような頭のいい進学校には珍しいタイプの生徒で、毎日先生に追いかけられ、怒られていましたが今でも無事に卒業できたのが不思議です。
ちなみに看護師になろうと思ったのは、お金が良くて安定していると思ったから。ホントはお医者さんになりたかったけど残念ながら頭が足りませんでした。ちーん。
アクティブな不登校からリスカ、メンヘラへ
これまで書いてあるのは青春を楽しんでいる女子高生!てな感じですが、実は高校入学辺りからメンタルがやられていきます。
必死に勉強をして良い高校に入れたものの、周りの生徒が優秀なので、進学校ではもちろんビリTOP10常連。
毎日のように先生に呼び出され説教をくらう。
不眠も続いているので夜中に遊ぶ。
朝起きられず学校にも行けない。
こんな感じで自暴自棄になっていき、ある日思いついたのが「自分の夢を現実で実現したら解決する」というものでした。
そこからリストカットが始まり、その日はよく眠れたのを覚えています。
その時点では漠然ながらも看護師になりたいという夢(動機不純)を持っていましたが、リストカットの爽快感にどんどんはまっていきました。
何か嫌な事があったらリスカで解決。みたいな感じになっていき、辞めるのが難しくなっていきました。
辞めたいと思った事も何度もありましたが、衝動が抑えきれず何度も繰り返し、いつ辞められるのだろうと悩みました。
辞めるというよりも、リスカしたいという気持ちとうまく付き合わないといけなかったんでしょうけど、それに気づくまでにはだいぶ時間がかかりました。
違う道を極めそうになった大学時代
なんとか高校を卒業し、大学に入学できたものの、アルバイト漬けでした。
なんのバイトだって?
キャバクラです
今までの流れで予想できるかもしれませんが、無事に大学入学と共にキャバクラデビューを果たします。高時給でシフトも自由、厳しい規則も無く私にはぴったりの仕事でした。
大学の授業などには目もくれず、ただただ夜の道を極めていました。
結果として5人家族の中で一番の稼ぎ頭に。
キャバクラの影響で大学生活は基本的に二日酔いで、まともに覚えていることがありません。人付き合いが苦手なので大して友達を作るわけでもなく、ただただお金を稼ぐことに集中していました。
看護学生には避けて通れない実習も行ってはいましたが、中学校時代からの派手な見た目には簡単にはオサラバすることができませんでした。
毎回大量に黒染めスプレーを髪につけてその場しのぎで行っていましたが、ある実習の当日、黒染めスプレーを買い忘れていた私は何とか黒くしなければいけないと思い、家にあった墨汁を代用し髪を黒く見せることに成功。
髪の毛はパッキパキになり、異様なテカリ具合で実習に行ったのは良き思い出です。あ、ちなみにその時は家に帰らされました。そりゃ墨汁で染めて実習に来たら帰れってなるよね。私でも言います。
まともな身だしなみもできず、ピアスも両耳20個空いていた私は実習中に家に返されるという事が何度かありました。
看護学生のみんな、大丈夫だよ。こんなクズな先輩もいるからね。
その他のクズエピソード
- 精神不安定でオーバードーズをして××
- 元彼氏に蹴られ殴られ警察沙汰に
- その後ムカついたので報復をしてまたもや警察沙汰に
ちなみに逮捕されたことはありません。
国家試験を経て無事看護師に
キャバクラメインで生活をしていて二日酔いと大学の単位を取るのに忙しく、リストカットの回数は減りました。
お金を好きなように使いまくってたので、昔ほどストレスも感じないようになりました。
しかし、どうしてもリスカをしたいという衝動に駆られたら、足や身体などの見えない場所への自傷行為を続けていました。
こんな人間が看護師なんてできるのか、と思ったこともありましたが、なってから考えようと開き直りましたね。
高校受験の時のように死ぬ気で国試勉強開始(4年生11月)。
コミュ障(酔っている時は解除)の為に、基本的に一人でお家で勉強していました。
大学の先生はもはや私の点数に関しては興味なかったんでしょう、単位が足りていれば何も言われませんでした。
国家試験もなんとか合格し、奇跡的に公的病院での就職を勝ち取りました。
しかし初日から道に迷って遅刻したというのは今でもいい思い出。ニッコリ。
リスカ癖もリスカ跡も気になるけど気にしなくていいと思う
リスカをしたい気持ちとうまく付き合っていくには、原因を知る事と他の発散方法を持つことが少し助けになるんじゃないかな、と自分の経験上思います。
私の場合は
- 人間関係
- 勉強
- 生きている事のストレス などなど
が理由だったんだと思います。もう全てがどうでもいい感情になっちゃうんですよね。
そして、結果的な私の発散方法は、お金を稼ぐ、記憶を飛ばす(酒)となりました。
正直、左上腕にかなりリスカの跡があるので、看護師やってても人の目は気になります。
あ、そういう人なんだーみたいに思われてるんじゃないかなって思います。
「だからなんでしょう?人にそう思われたら何?」
実際にその腕どうしたの?って患者さんや看護師に聞かれた事もあります。
だいだい「若気の至りですね!」とか適当に流してますが、それ以上何も聞かれませんし、看護師変えてとか、仕事辞めろとか言われた事もありません。
身近にリストカットをしている人がいない場合は、リスカ跡をみても何か分からない人もいるようです。
パートナーのMARUは最初に私の腕を見た時、ずいぶん重いかばん持って腕に跡が付いちゃったんだろうなーって思った!と言ってました。
私は、完全にリスカを自力で辞めるまで7年程かかりました。
リスカから徐々に遠ざかってきた時に「次やったら人間やめよう」と決意しました。
衝動を抑えるのは辛かったですが、手を噛んだりつねったりして代用しました。
もし、今がまだ、無理だと思うなら、無理してリスカを辞めようとする必要もないと思います。
人がどう思うか気になっていたとしても、他人を気にする必要はありません。
好きな事をやって、頑張る時は少しがんばって、合わなければ辞めて、楽しそうな事をやってみる。
もう少し自己中になっていいと思います。
私は、今でも跡が残っているので周りから変な目で見られることもありますが、別に間違ったことはしてないと思ってるし後悔もしてません。
看護師になる前は、リスカ跡に対して不安に思っていましたが大丈夫です。
看護師にはなれます!
10代はお忙しいお年頃
中学生、高校生って難しい年頃ですよね。いろいろなものに憧れて、試して、失敗して勉強していく。私はちょっと人と違った学生生活を送ってきましたが、全く後悔はしていませんしむしろ、たくさんの経験ができてよかったと思っています。
結果として看護師になれたし、コミュ障だとしても心から信頼できる、頼りにできる友達も少ないながらにできました。
キャバ嬢ってネガティブなイメージもあるかと思いますが、凄く勉強になります。人を見る力や接客、お金に対しての価値観は全てキャバクラから学びました。
そして今はオーストラリアでもう一度看護師になるために勉強していますが、この10代の経験がなければとっくの昔に挫折して日本に帰っていると思います。
どんな人生を歩もうがその人の選択だとは思いますが、私は私の10代を誇らしく思うしうらやましくもあります。
どんどん年を取っていくにつれて
- もっと自分の気持ちを伝えればよかった
- もっと挑戦しておけばよかった
- もっと広い世界を見ておけばよかった
と思う人は増えてきます。私はターミナル病棟で働いていたのでたくさんこのような事を聞いてきました。
先人に教えられた事を意識して、私は少しでも後悔をしないようにこれからも自分のやりたい事を自分のペースで進めていきたいと思います。